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一般人の第九とは 

〜コスモス インタビュー〜

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楽譜なし。音源を頼りにやっていく。

ーおはようございます。スタジオ入りですね。

 

いよいよです、よろしくお願いします。

 

ー今回かなり勉強といいますか調べ物のようなことをされたと伺ってるんですけど。それはどのような?

 

我々コスモスというユニットが、お互いの関心を持ち寄り、話し合いとリサーチをベースに作っていくパフォーマンスユニットなんです。今回は、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」…日本では年末によく演奏される「第九」についてリサーチしました。

 

ー今日演奏するのは第九なんですか?

 

はい。今日は交響曲第9番「合唱付き」の最終楽章をシャドーイングで出現させます。

 

ーシャドーイングとは?

 

シャドーイングというのは、元々は外国語を学習するときの練習法です。例えば英語の音声を耳から聴きながらすぐその後をまるで影のように追いかけて自分の口で発音する。インプットとアウトプットを同時に行うのです。同時通訳の方の訓練として知られているものですね。

 

ー具体的にはどういう風にやるのですか?

 

スマホ、パソコンなどの再生機器を用意して、イヤホンあるいはヘッドホンで音源を聴きながらすぐその後を、何も考えないでそのまま真似して出していきます。もう一台レコーダーや、スマートフォンを用意しておいて、ボイスメモアプリなどで録音します。楽譜はなしで、音源だけを頼りにやっていくという感じです。

 

全ての人間は兄弟である

都内某所に現われたコスモスの2人 この日スタジオでの録音にのぞむ

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 フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)

ーどうして今回ベートーヴェンの第九を選ばれたんですか?

 

調べてみると第九は非常に両義性のある曲でした。今から200年位前に作られた曲なんですが、シラーという人の書いた詩を少しアレンジしたのが「第九」の大合唱で歌われる歌詞です。当時、合唱付きの交響曲というのが音楽史的に見てもほぼなかったので画期的でした。歌詞がどんな内容かっていうと、「人類は皆兄弟だ」とか「みんなで手を取り合って」みたいな、そういうようなことを歌ってるんです。

 

ー結構いいことを言ってるんですね。

 

そうですね。シラーがその詩を書いた時代はフランス革命の直前だった。王政に対しての市民革命の機運が高まってた時代背景があって。それまでの価値観っていうのがごろッと転覆した時期だったんです。この詩を使おうと思ったベートーヴェン自身も共和制支持者というか。非常にある種インターナショナルなメッセージーーーーみんなで一緒になろうとか、人類はみんな兄弟だっていうメッセージに強く共感して、おそらくこの曲を作ったんだと思うんですよ。



ーコロナでの隔離や人種間の偏見・差別が可視化される昨今、世界人類は皆兄弟というシンプルなメッセージは響くところがありますね。

 

そうですね。まぁ当時の彼らがドイツ国民の枠を超えて、どこまでワールドワイドな視野があったかってのはちょっとわからないですけれど。そういうふうに読み取れるとは思います。で、素晴らしいメッセージだなと思う一方、この曲はいろいろな解釈のされ方をしていくんです…例えばナショナリズムを煽り人々を一つに束ねるような使い方をされます。象徴的なのがナチスドイツの時代。ドイツ民族や文化の優位性を示し、ファシズムの1つのテーマソングのようにもなっていくんですね。

 

ーヒトラーはドイツの作曲家ワーグナー好きで有名です。プロパガンダ映画や、党大会でワーグナーを使い人々の心を鼓舞しました。第九もそのように?

 

そうです。実は「第九」も盛んに演奏されて、1941〜42年だけで31回演奏会があったそうです。中でも42年の4月19日、ヒトラーの生誕前日・祝賀演奏会に、ドイツの誇る20世紀最高の指揮者・フルトヴェングラーが指揮した第九は伝説的と言われています。もうほとんど絶叫に近いような演奏で。

 

ー絶叫ですか?

 

絶叫と言われておりまして。ええ。

 

没入体験は気持ちいい

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)

フルトヴェングラーはドイツでベルリンフィルなどをふった人です。ナチス政権下のドイツに留まり活動していたため世界から非難を浴びつつ、ユダヤ人演奏家を助けたりしながら生活していました。政治と芸術の間で翻弄されながら、戦後にはナチスのために演奏した映像などを証拠として指摘され、演奏禁止処分をうけているんですよ。その映像というのが42年の生誕前夜祭のものなんですけど。またその演奏がフルトヴェングラーの中でも1、2を争う迫力の第九になってて。どうして彼はあんな名演をやってしまったんだ?って言う話がありましてね。おかしなこともあるもんだなぁと。

 

ーフルトヴェングラーは今回のプロジェクトにどう関わってくるんですか?

 

フルトヴェングラーの1951年のバイロイト音楽祭再開記念演奏会の第九、これがまた非常に名演とされています。今回これをシャドーイングをします。

 

ーベートーヴェンの第九をシャドーイングで出現させたときに起こることっていうのはどんなことなんでしょうか?

 

そうですね。そもそもこの第九が両義的だって言ったのは、フランス革命などの左翼運動に関わりがあると同時に、国粋主義的なものとも結びついてきた曲なわけです。要は国家の動員に使われたって言う事なんですよ。やっぱり音楽っていうのはそういう力を持ってるんですよね。人を方向付けたりとか。

 

ー先導したりですよね。

 

そうですね。人々を同じ方向に向けさせる力を持っている。我々コスモスで最初に話し合ったのは、没入とか陶酔というものに対して疑っていきたい、そういう話をしたんですよね。没入体感型みたいなのや、そういう感覚って気持ちがいいでしょう?何かと一体になっていくっていうのは。でもそれって支配者が、被支配者をあるテーマに向かわせることと紙一重なんじゃないかっていう問題意識はあったんですね。そういった歴史の中で動員目的で使われてしまった第九という曲を、とにかく没入できない第九としてやってみるって言う、そう言うことがスタートだったんですね。

 

第九は誰のものか

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ー今回は演奏自体が最終目的ではなく、映像にしていろんな人に見てもらうプロジェクトなんだってことですけれど、終着地点っていうのはどこにあるんでしょうか?

 

これはやっぱり、映像を見た一般人の、1人でも多くの人に第九のシャドーイングをやってもらいたいんですよね。第九という曲は先程も言った通り、ヒトラーによって政治的に利用されてしまった。フルトヴェングラーっていう人はそのことをすごく残念に思っていて、戦後、ヒトラーに奪われた第九を、ドイツのために取り戻したいと思ったみたいなんです。そんな使命感もあってか、ヒトラー所縁のために出演をしぶっていたバイロイト音楽祭で1951年に第九をふった。でも奪われたり取り戻したりって、第九って一体誰のものなんだっていう。

 

ー誰のものなんですか。

 

一般人の第九です。一度、第九を権威や権力から切り離してみたいなと。本来ならば高度に訓練されたオーケストラの方が指揮者の指揮棒を見ながら演奏するものじゃないですか。それを今回訓練されていない肉体でやるって言う事なんですよね。

 

ー練習しなくていいってことですか?

 

シャドーイングならそれが可能なんです。

 

ー笑。いやでもちょっと難しそうですね…。

 

いややってみると楽しいんですよね。まさに「歓喜の歌」、歓喜の状態に陥ると言うか。

 

ーそれ没入してるじゃないですか?

 

完全に陶酔的な状態になるっていうか、実際に1人でも多くの方にそれを体感していただきたいって言う思いはやっぱりあるんですよね。

 

ーいやでも実際難しいんじゃないですか?どういう風にやったらいいんですか?

 

考えないでただ真似するだけなんです。…難しいとしたら、最終楽章が25分ある事ですかね。あと、第九は色んな録音が残ってるので、1951年の音源でシャドーイングしてください!これはコスモスのホームページに載っているのでそれを使って。ほんとにちっちゃいお子様から高齢の方まで、国籍も不問だし一般人は誰でもできると思います。再生できる機器と、録音できるお手持ちのスマートフォンが1つあれば誰でもこのプロジェクトに参加できるという。誰もがこの瞬間から一般人の第九の演奏者になれるんですよね。

 

ーなるほど。一般人っていうのはそういうプロの演奏家じゃないって言う意味の「一般人」なんですね。

 

それが可能なんです、シャドーイングなら。

 

ーそうですか。でもそれ面白いんですかね。

 

…見ていただければわかるんじゃないかなと。

 

ーわかりました。ありがとうございます。

 

ありがとうございます。


 

​インタビュー収録 2020年7月

honninmanと野津あおい

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